「52ヘルツのクジラたち」感想
町田そのこさん初の長編小説であり、様々な賞を受賞・大反響を呼んだ小説です。
あらすじ
「誰とも関わりを持たないで生きたい」と決心し、一人で港町で暮らし始めた貴瑚。
しかし周囲から好奇の眼差しを向けられ辟易している。
そんなある日、偶然気になる子供と出会う。その子供は、身なりは汚い上、言葉を話さないのだ。
貴瑚がその子供のことが気になるのには、貴瑚の過去が関係しているのだった。
誰とも関わらないと決めたはずだったのに、いつしか二人は深く関わり合っていく。
この本を読む前から、テレビでの紹介で、タイトルの「52ヘルツのクジラ」の意味を知りました。
52ヘルツのクジラとは―他の鯨が聞き取れない高い周波数で鳴くためにその声が届かない孤独なクジラだそうです。
人間の世界にも「声なき声」をあげている人たちがたくさんいる・・・。
貴瑚は自分自身が家族から搾取され続けていたことに疲弊していたにも関わらず、助けを求めることすらできずにいました。
しかし、そのSOSに気がつき助けてくれた人がいて、救われた。
それなのに、自分は「声なき声」に気がつくことができなかった。
その後悔を抱えているからこそ、自分が虐待されていることを訴えることができない「ムシ」と呼ばれている子供をなんとかして救い出したいと思うのです。
私も、自分のことばかりで他の人の声に気がつくことができなかったという苦い思いがあります。
目の前のことよりも、もっと大事なことがあったのに、なぜ取り返しがつかないことになってからしか気がつけなかったんだろう。
後悔先に立たず。
その言葉の重さを噛みしめました。
まあでもとにかく、貴瑚の家族の描写には読んでいてイライラしてしまいましたねー。
もちろん、自分の子を「ムシ」と呼んでいる母親も・・・。
でも、自分の子供を愛せないという親は、残念ながら一定の割合でいると思うし、置かれた状況から虐待親になる人もいる。
子供は自分の生まれた世界しか知ることができないから、「おかしい」という認識すら持てなかったりする。
もし誰かが気が付いて、虐待親から引き離したとしても、その子供はやっぱり親からの愛情を求めていたりして、本当に難しい問題だなと思います。
「一時的」ではない救出って、助ける方も当事者も相当な覚悟と時間が必要なんだな、と思い知らされましたね。
この小説の中で一番印象に残ったのは「ひとというのは最初こそもらう側だけど、いずれは与える側にならないといけない」というワード。
話さず、自分の意思がわかりにくかった少年も、貴瑚を守りたい、力になりたい、と変わっていく。
本当に強く変わっていけるのは、自分自身が守りたい存在ができた時かもしれないな・・。
自分のイメージで、この小説の絵を描きました。

海に飛び込んで、クジラに向かって手を伸ばす少年と、海底から水面に上がっていこうとするクジラ。
辛くシビアな現実の中でも、希望はきっとある。
小説で描かれていた、そんな力強さが伝われば・・・と思います。