「君たちはどう生きるか」マンガ版を読みました。
この本はもう80年も前に出版されている(吉野 源三郎さん著)とのことですが、最近になりマンガ版が出版され、すごく話題になって売れていますよね。
私も気になっていて最近本屋さんに行った時に目に入ったので、マンガ版を買いました。
(マンガ版といっても、けっこう文章が出てきます。)
以下はネタバレありの感想です。
簡単なあらすじ
まず冒頭、主人公のコペル君が絶望と自己嫌悪の淵にいるところから始まります。
それはなぜか・・・?
そしてそのコペル君に叔父さん(お母さんの弟)が渡したノート。
そこには悩むコペル君へのメッセージが書かれているのです。
叔父さんは出版社で働いていたのですが、その出版社が倒産してしまい、今は無職です。
お父さんが病気で亡くなっていることもあり、以前からコペル君は自分の叔父さんに色々な相談をしています。
叔父さんはコペル君にアドバイスを与えながらも、子供から大人へと成長していくコペル君が自分なりに一生懸命に考え、答えを出していくことに刺激を受けています。
コペル君がデパートの屋上で、人間は分子=自分も社会の一部だと気づくところから、自分の役割・そしてどう生きていけばいいのか・・・ということまで広がっていきます。
「立派な人間」の意味
その中の大きなキーワードは、亡くなったコペル君のお父さんの言葉です。
「立派な人間になってほしい。」
正直で勤勉で行儀がよく人には親切。
それは申し分のない人間だけど、それだけじゃ一人前の人間にならない。
人から教えられることではなく、自分が体験したことを自分自身で考え、自分の魂で「人間の立派さ」がどこにあるかを考えないといけない。
「立派」というと、人から尊敬されるとか仕事で成功したみたいなイメージがありますが、ここでいう「立派」は少し意味が違いますね。
私は「志(こころざし)」を持った人間だと感じました。
なぜ「叔父さん」なのか?
さてこの本、コペル君を見守りアドバイスをしてくれるのが「親」でも「先生」でもない、「叔父さん」という第3者であることが、けっこうポイントなのではと思います。
親や先生だと、ちょっと意味が変わってくる気がするんですよね。
お説教っぽくなってしまうというか・・・。
そしてこの叔父さん、自分自身も子供達に向けてどういう本を作ったらいいのか悩んでいます。
年長であり経験、知識もある叔父さんはコペル君にアドバイスはしていますが、すべてをまっすぐに見ながら自分なりに悩んだり葛藤しながら成長して行くコペル君と、実は対等なのかもしれないですね。
年齢、身分、仕事、性別、貧富・・・世の中は色々な区別がありますが、その人が「立派な人間かそうでないか」は、そういうことと全く関係ないのです。
子供だけでなく、大人もどう生きて行くのか悩んでる。
この本は子供向けに書かれたものだそうですが、今これほどまでに売れているのは、大人も読んでいるからだと思います。
私も、コペル君の身になったり叔父さんの身になったりで考えました。
日本人の大多数は宗教を信じていません。
世界的に見ても、実はそういう民族の方が少ないようです。
では何を信じていけばいいのか?どう生きていけばいいのか?
この本が書かれた時代より、今の方がずっと物質的には豊かになり、幅広く勉強する機会も与えられているはずなのに、生きる目的や指針を持っていない人はむしろ増えているような気がするんです。
我が家の子供達に読ませた結果
我が家では、(当時)中2と小6の姉妹は読みました。
感想を聞いたら、「あ、う〜ん」という感じで、イマイチ何を感じたのか伝わってきませんでした・・・。
でも、そういうものかもしれないなぁ。
私もその時期だったらそういう感じだったかもしれない。
色々な経験をしたから実感を伴うというのもあるのかも。
それか、親に感想をあらたまって言うものでもないと思ったのかもしれません。
小1の長男には、やっぱり少し難しいかな。
もちろん、この歳でも興味を持つ子はいると思いますが。
これから子供達は、色々な事柄に直面して自分で選択していかなくてはいけない。
その時、自分自身の何に従っていくのか・・・。
何かで迷った時に、この本のメッセージが心に浮かんでくるといいなと思います。
この本は、子供達がすぐ取れる場所にずっと置いておきます。