「銀河鉄道の夜」は、切実な願いの物語だと思う。
おそらく日本に住んでいたら、ほとんどの人が宮沢賢治の代表作「銀河鉄道の夜」は聞いたことがあると思います。
私が最初に読んだのは、小学生の時でした。
お話の内容をはっきり理解していたわけではありませんでしたが、銀河を走る汽車の美しいイメージが心に浮かんで、なぜか惹かれました。
それから何度か絵に描いたりもしていて、去年はりんどうとススキの中を走る汽車の光景を描きました。

ところで、最近この話についてまた考えてみたのです。
以前は、「ジョバンニと(実は亡くなってしまった)カンパネルラが、一緒に銀河を旅する不思議な話」という印象だったんですが、今あらためて読むと、「納得できないまま永遠に別れることになった人の、切実な願いの物語」なんじゃないか・・・と思ったのです。
そう思うきっかけになったのが、横田滋さんが亡くなったニュース。
横田滋さんの娘、恵さんが北朝鮮に拉致されてから、結局会うことはできないままでした。
ある日突然拉致されるなんて、本当にとんでもないことですよね。
国家ぐるみで仕組まれていることがわかっているならなおさら、とっくに解決されていなければいけないはず。
でも、結局恵さんの行方はわからないまま・・・。
恵さんがある日突然消えてしまってから、横田さん家族は今まで、どんな思いで暮らしてきたんだろう。
ようやく北朝鮮が拉致を認め、何人か帰ってきた時にも恵さんの姿はなく、「亡くなった」という報告がありました(でも遺骨は別人だった)!
もし亡くなっているんだとしたら、どんな思いで亡くなっただろう。
横田滋さんが亡くなったというニュースを聞いた時、なぜか「銀河鉄道の夜」が思い浮かんできました。
横田さんが天に帰る時、せめて恵さんと一緒の汽車に乗れていたら・・・。
「夢で会えたら」という言葉がありますが、現実世界で会えなくても、違う次元で再会できたらどんなにか良いのに。
心構えできない中での別れがどれだけ辛いのか、その苦しみをずっと背負いながら生き続けていくことを、初めて想像できた気がしたんです。
実際宮沢賢治も、身を裂かれるような別れを体験した人でした。
宮沢賢治には妹が3人いましたが、中でもとし子とは気が合い、仲が良かったそうです。
でも、そのとし子はなんと24歳で結核で亡くなってしまいました。
宮沢賢治は悲嘆にくれて、その悲しみを「永訣の朝」などの詩に書いています。
その10年後に、宮沢賢治も肺炎で亡くなってしまうのですが、賢治はとし子の死からずっと立ち直れなかったのではと思います。
とし子が亡くなってから書かれた「銀河鉄道の夜」。
ジョバンニにとってカムパネルラは、前は仲が良かったけど、今は少し距離を感じていた友人。
もし銀河での旅を一緒にできないまま、ある朝カムパネルラが死んだことだけを、ジョバンニが知ったとしたら、カムパネルラがどう思いながら亡くなってしまったのか、ずっと「なぜ」という気持ちを抱いたままだったと思います。
でも、一緒に銀河の旅をして、一緒の体験をし、一緒に色々な人に出会って、そしてカムパネルラのぽろっと出た言葉(おっかさんは僕を許してくれるだろうか)も聞いた。
現実での別れは突然でも、最後に同じ時を過ごすことができたら、どんなに大切なひとときだっただろう。
永遠に会えない人と、もう1度一緒に過ごすことができたら・・・
子供や孫に見守られ、もう十分生きた、と息をひきとるのが理想ですが、現実では、なかなかそうはいきません。
突然の「永遠の別れ」は、その本人もですが、周囲も心の整理がつかなくて苦しむでしょう。
でも実はそういう別れはすごく多いかもしれません。
生きている以上、絶対に「死」があり、多くの人が別れに苦しんでいる。
なぜ「銀河鉄道の夜」が多くの人を今でも惹きつけるのか、今違う面でわかった気がしました。
今年描いた「銀河鉄道の夜」は、車内から外を眺めるジョバンニとカムパネルラ。

性別も年齢も国籍も属性も、すべてなくなった「自分」と、「大切な誰か」。
ただ、車窓から美しい銀河を眺められたら・・・
そんなことを想像していました。
最近、米津玄師さんが出したアルバムに収録されている「カムパネルラ」で、また「銀河鉄道の夜」が注目されました。
細野晴臣さんが制作した、アニメ版「銀河鉄道の夜」のサウンドトラックは、本当にすばらしいです。
30年以上前ですが、全く古さは感じないです。
出かけられないお盆休み、あらためて「銀河鉄道の夜」の世界に浸ってみてはいかがでしょうか。