三浦瑠璃「孤独の意味も、女であることの味わいも」
著者の国際政治学者、三浦瑠麗さんは東大出身で、その上スレンダーな美人。
夫は東大の先輩でハーフ、外務省の元職員。娘が一人。
ずっと陽のあたる場所を歩いてきたのかな、と思われるような女性ですが・・・
三浦さんが出した自叙伝の紹介文をたまたま目にしたところ、壮絶すぎる半生が紹介されていて、
「まだ若いのに、そこまで自分の過去をさらけだしているなんて」
と驚くとともに自叙伝を読みたくなりました。
三浦さんは最近はテレビ出演なども多くしていて、「選ばれた別世界の人!」と思ってしまいます。
しかしこの自叙伝によると彼女の半生は、
- 自分を取り巻く環境・態度から、「女」であることの呪縛に囚われる
- 話し方や態度、少し特殊な家庭環境から、学校では常に「ぼっち」
- まだ14歳の時に性犯罪にあい「死ぬかも」と思うような体験
- 自分をよく理解してくれる元親友と結婚するも、最初の子を死産
・・・と、相当困難な思いをしています。
「女であること」にどう対処していくのか
この本ではまず、自分が「女」であることを自覚した時から、どう考え振舞っていくのか・・
悩んだ経過が書かれています。
母が「嫁」として家族のためにおさんどんをする姿を見て育ち、
女より男が上、女に学問はいらない。
はしたないことをしないように気をつけなければいけない。
そんな空気を感じ取って、理不尽を感じつつも、その呪縛からなかなか抜けられない三浦さん。
さらに彼女自身魅力的だったことから、男性にどうしても「女」として見られ、求められ続けることに疲れる気持ち。
うちの夫は長男ですが、幸い私はそんな「良い嫁」を期待されることもないのですが(気がつかないだけかも?)、ママ友の中では、旦那の実家に行ったらおさんどんづくしという人もいます。
男性や子供が食べていても、嫁たちは立ってお世話するとか、ほんと単なる召使い?と思うような働きを期待されているところもあると聞いてゾッとしました。
三浦さんが属する世界(エリートとか政治とか)では、もっと男中心のエゴイズムが蔓延しているようです。
三浦さんが若い頃はどうしても「女である自分」にがんじがらめになってしまっていたけど、年を重ねるごとに段々と解放されていったようです。
年をとると楽になってくる部分もあるんですよね〜。
でも、女性が政治などについて発言をしているのが気に入らない、という人もかなりいるんですね・・・。
最近では「大阪にスリーパーセル(北朝鮮の工作員)が潜伏している」と発言し、大炎上してしまったということも知りました。
「人種差別を助長する発言」と認定されてしまったようですが、三浦さんは全くそんなつもりはなく「発言を切り取られ全く別の意図に曲解されたので謝りません」という態度を一貫したそうです。
そういう態度も「生意気」とバッシングの材料にされているのかもしれませんが(特にLITERAはひどい。「三浦センセイ」とか・・・前時代的な女性蔑視の書き方をしています。)、この本を読むと、孤独に闘い自分の道を歩んできた彼女が、こういう批判に屈しない理由がわかります。
それにしても彼女のことをネットで調べると「Sっ気があって怒られたい」「かわいいけど○○人(三浦さんは日本人ですが)」「太もも画像」とか・・・
彼女が受けてきたセクシャルハラスメントの一端が垣間見えましたね。
ほんとめんどくさそう!
しかし、「女性は男性より一歩引いて、自分の意見を言うことなく大人しく家事・育児と男性へ尽くすことが一番重要」っていう考え、男性だけじゃなくて本気で思っている女性もいて、女性に押し付けている。
この本を通してそういう存在が現実にたくさんいることを知りました。
衝撃的な体験記録について感じたこと
本の後半、唐突に性被害のことが書いてありました。
まだ中学生の時、通学路を歩いていたら車でさらわれ、数人による性暴行にあってしまったそうです。
「殺される」とまで恐怖を感じ、解放はされたものの、誰にも言わずに体と心の痛みにただ一人耐えたそうです。
文体自体は感情的にならずに、淡々と綴ってありました。
でも、どれだけ傷ついたのかは想像に余りあります。
私も電車や道で、何度も襲われそうになりましたが、あの恐怖感はなかなか男性にはピンとこないようです。
つい最近、ママ友の娘(中学生)が電車で露出漢にあい、それからしばらく電車に乗れなくなってしまったんです。
その気持ちを父親がなかなか理解できないようで、そこで親子の信頼関係も崩壊したとか・・・。
露出漢だってそんなにダメージを受けてしまう子もいるんです。
性暴行した犯人たちは捕まっていないようなので、今ものうのうと暮らしているのかと思うと許せないですね。
さてその事件からだいぶ月日が経ち、東大の先輩であり、親友でもあった男性と結婚した三浦さん。
しかし最初の娘さんは早産による死産になってしまいました。
妊娠22週だと、普通のお産のように出すのです。
そして産まれてきた、息をしていない赤ちゃん(珠ちゃん)を抱く描写はとても痛ましいです。
その後幸い授かった第二子の妊娠では、またもや切迫早産の恐れがあり、恐怖を感じながらひたすらじっと生まれるのを待つ日々。
ようやく産まれたら、今度は子育てと仕事で限界まで疲弊・・・
そこに書いてあるのは、スーパーエリートの成功伝ではなく、色々な葛藤に悩み苦しみながら、乗り越えていく一人の女性、人間の軌跡でした。
頭が良くて、美人で、恵まれた人・・でも、そんな幾多の困難をくぐりぬけてきたとは!
テレビ画面だけでは決してわからないですね。
彼女のような人を見ると、「生まれた時から恵まれた人生なんだろうな」と思ってしまうところがあるんですが、勝手にそう思うのは失礼だな、と反省しました。
どんな悩みや苦しみを抱えて生きてきたかなんてわからない。
そして人生、案外近道はないのかな・・・。
三浦さんのことを知っていても知らなくても、生き方や考え方などに色々な気づきを与えてくれる自叙伝だと思います。